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山神と民。

やっと手にして、やっと読み終えました。
とにかく漢字が読めず、仮名を求めてペ-ジを行きつ戻りつ・・の日々でした(バカだ・自爆)。
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熊を殺すと雨が降る 遠藤ケイ著 山と渓谷社
渓流で釣りをしてると、ソコはとにかく山の中で田舎。人家も少なく「こんな所じゃ絶対暮せない」などと当然の如く話してました。決してバカにしているのではなく「無理」と解ってるから・・と如何にも達観しているかの如く。
『不便・不自由・娯楽無し』どう考えても無理(また言っちゃった)。
そんな生活環境に住む人々の土地に、お洒落気取りで(FFなもんで・自爆)竿を持った自分が徘徊してる姿を客観的に見ると、思わず場違いに笑っちゃうんだけど、ソレはまあソレでいいと(だって釣りに、ソレもFFですから・笑)。
でも、古い平屋の軒先なんかで腰の曲がったおば-さんの姿を見て、瞬間「やべっ、挨拶したほうがいいんかな-」などと考えてしまう自分は、既にそこで人として間違った方向へ向かってしまっているんじゃないかと、何度も感じてました(まあ、ソロで行く事が多いので、恥ずかしいってのもあるし、違うモノですよ!って感覚が邪魔をする)。
そんな壁があったとしても「いい天気ですね-」位の言葉が何故出ないのかと・・。

自虐的になっても仕方ないけど、そんな事を考えていた時にこの本の存在を知り、単に不自由と片付けず、住む場所が違うと片付けず、少しでも山に生きる人々の事を知りたくて読むに至った訳です。

感想なんですけど、自分はこの本と言うか、山で生きてきた(生きてる)人々を語れるほどの懐の深さ(胆の据わりかた)を持ち合わせて居りません。それだけ厳しい世界でした。ただ、生活苦ばかりではなく、少しながらも楽しみを見出す工夫や知恵の存在があった事に何故かホッとしたりもしました。
今度釣りに行く時は、山の神様と代々山を守り続けてきた人々に感謝しながら、自分の領分の中で遊ばせていただこう思います(おば-さんに挨拶もね・笑)。

-文中より-
『人間が平地に住み、山を単なるレクリエ-ションの場にしてしまっている今日でも、山は潜在的な力を失ってはいないからだ。われわれがどんなに安全で機能的な装備を揃えても、山は常に破壊的な力を溜めて危険に満ちている領域なのだ』。

『今年限りでいいっていうなら、山の木を根こそぎ伐って一儲けすることもできるし、動物でも魚でも捕りつくす方法はある。だけんがオレらは明日も来年もここで生きていかなければならない。孫子の代まで残してやらなきゃならない。ここを捨ててどこへ行くわけにはいかないんだ。そこが都会モンと違うところだ』。

『山に暮すには、命を張って生きる覚悟がいる。同時に、山に対する知識を磨き、自分の技量を真摯に見極める謙虚さと冷静さが要求される。その折り合いのつけ方が、自然と付き合っていく知恵である』

『山神は山の支配者。自然界のすべての法はそこに帰属する』


スロウ・ライフと言えば聞こえがいいけど、ソコに暮すには命を懸けて自然と共に生きる覚悟が必要だと・・。

因みに、本の内容は「山の仕事」・木の伐採、植林、木地師、漆掻き、炭焼きetc.「山の猟」・熊、猪、鹿、解体etc.「山の漁」・釣り、毛鉤、手掴みetc.「山の食事」・魚、山獣、蜂の子、山菜とキノコetc.「山の禁忌」・口伝.と山の民族学に相応しい重厚な内容でした(難しいけど、機会があったら読んでみて下さい)。

※大した感想も書けてないので、コメント禁としてます(悪しからず・笑)。
by dad1st | 2009-11-03 18:05 | Book
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